9年前のこと。

9年前の今は被災地にいた。
地方事務所の被害状況を確認しにいくというミッション。
なんで俺が選ばれたのかよくわからないけど俺が元気だったからこいつなら平気だろうってことだったのかな。
全国から集まった救援物資を大量にクルマに積んで緊急車両の申請をして波打った東北道を走った。
その頃の福島の状況がとても心配だったのを思い出す。
仙台になんとか到着して東北ブロック本部に救援物資をおろして南三陸石巻を目指した。
石巻事務所の状況等の写真を撮るためだ。
だけど、シャッターは押せなかった。
押さなかった。
1枚も写真はない。理由は書かない。

ひとりだけ連絡のついていない職員の方がいてその人の自宅へ向かった。
港にある相談窓口の方だった気がする。その窓口は津波でおもいっきり流されていた。
ご自宅に伺うと辺り一面水没していた。200mくらいじゃぶじゃぶと歩いていく必要があった。
「どうやってあそこまでいこう…」
俺は近くの水たまり(水たまりだらけだった。)で自転車を洗っているおじさんに
「おじさん!あそこの家までいかなきゃいけないんだけど自転車貸してくれませんか?」
というとおじさんは
「おう!使え!」
ともう一度洗うことになるにも関わらず快く俺に自転車を貸してくれた。
なんで自転車を借りたかというとマンホールの蓋があいてたとき自転車の方が落ちる可能性が少なそうだってことと少しだけ濡れないかもって思ったのだ。(結果パンツまで濡れたけど。)その方のご自宅の玄関の前で心の底から生きててくださいと祈った。
玄関を開けるとお父様が出てきて「本部からきた石川と申します。娘さんのご無事を確認しにきました。」というと「○○~!」とお父様がその方のお名前を呼び2階からその方がおりてきた。よかった。ほんとよかった。
そのおうちは停電していて携帯も充電できなくて連絡が無理だったのだ。ソーラーの携帯充電器と救援物資を渡してその人に紙を渡して「 職場のひとたちに何かお伝えすることがあったら書いてください。」とその人に伝えるとその人は何度も何度も書いては消してを繰り返していた。
「お待たせしました。」と渡されたメッセージには何度も何度も書いては消していたのに
「元気です。」
とひとことだけ真ん中に小さく書いてあった。
ひとは強くない。だけども弱くもない。
そんな「元気です。」だった。
帰り道パンツまで濡れた俺はめちゃくちゃ寒くてクルマの暖房を全開にしてたら、助手席にいたなにもしてないブロック本部の部長が「暑いなあ」といって暖房を切った時は殴ろうかと思った。
仙台のベースキャンプでカップラーメンとスナックゴールド(ヤマザキパンのベストセラー)を食べてベランダに出てタバコを吸いながら見上げた夜空は月も星もキレイだった。くやしいくらいキレイな夜空だった。

今の日本の状況もなんだかたいへんだ。
ひとは強くない。
買い占めが起こっていたり風評被害がでていたりするのもあの頃とおんなじだ。
だけど、ひとは弱くもない。
あんな大きな災害から(道半ばかもだけど)ここまで日本は復活してきたんだ。
もうすぐみんなが「元気です。」っていえる日がくる。
そう信じている。